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目立たせたいために行うのが比較広告のはず。それなら比較を真正面に打ち出せばいい。なのに記事の中に、しかも活字の大きさも変えずに潜ませるような比較広告が存在する。これを「記事中比較」と名づけてみたが、なぜそんな比較を? 理由は簡単。比較する事項を中央にもってくる(これを「ヘッドライン比較」と名づけたが)には、問題があったからだ。 どんな問題が?比較する条件のすべてが全面的に優れているとは言えない場合だ。ライバルと比べて弾力性なら当社だが、耐候性ではあっち。総合点ではどっちとも言えない、といったケースである。 どっちとも言えない、ヘッドラインに持ってくるにはチョット気が引ける、だけど都合のいい点だけは比較したい。そんな時に使えるのが「記事中比較」である。 |
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広告の実際
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生理痛の鎮痛剤
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「グラマー」 1994年3月号 |
ミドールの広告のヘッドラインにはこうある。「ほかの痛み止めを生理痛に使うのはやめましょう。」なるほどそれで?「当社のミドールは生理痛とほかの痛みとの違いを知っています。ミドールは痛みと膨張感を取り除きます。だるささえも」。 ここまでは普通の広告。これから「アドビルとタイレノールはただ痛みを取るだけ」となって、これが有名なアドビルやタイレノールを引き合いに出した比較である。読むまではこの記事が比較広告だとは誰も気がつかない。でもどうせ比較するのなら、なぜヘッドラインにもってこないのか?記事中に潜ませたのか? この比較が決定的なものではないからだ。ライバル製品は「痛みを取るだけ」といってはいる。しかし、「痛み」が取れれば「だるさ」も取れるかも知れない。膨張感も和らぐかもしれない。エンジンの回転数の比較と違って、患者の感覚。だから大きな見出しとして比較するのははばかられるのだ。そんなときに便利なのが「記事中比較」なのである。
ニッサン対メルセデス
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「ロードアンドトラック」 1992年4月号 |
「一生懸命働いて、資金を作って、そしてスポーツセダンを買う。だけどそんな手順はもう要らない。」これがニッサンのヘッドライン。 これだけでは比較広告とはいえない。続けて長い説明文が続き、その後にやっと「ニッサンのSE-Rは簡単に言えばメルセデス190Eより強力なんです。」と。 この表現をしかしヘッドラインにもってくることがきるだろうか。ニッサンSE-Rがすべての点でベンツに買っていれば別だ。が、しかし価格のだいぶ違うベンツとの比較、そうはいかないのだろう。 そんなとき「記事中比較」を使おう。
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